セレンディピティ

イギリス人のウォルポール伯爵が創り出した「セレンディピティ」という言葉は,「偶然と才気(すぐれた頭のはたらき)によって,さがしていなかったものを発見する」ことを意味しています.
自分が作ってきたシステムや作品を説明する時にセレンディピティについてよく言及しますが,もともとが造語であることもあって辞書によって定義が違うこともあるようです.

幾つかの書籍を読んで,いちばんクリアな説明と思ったのは,
セレンディップの三人の王子たち―ペルシアのおとぎ話 (偕成社文庫)
の訳者である竹内 慶夫さんの解説にあった以下の内容でした.

「セレンディピティ」を明確に定義づける三つの重要な要素を見いだすことができます。それは、(一)偶然と(二)才気によって(三)さがしていないものを発見すること、です.ここに、セレンディピティということばの意味を考える原点があります。
(中略)
科学技術の発見には、このような場合がひじょうに多く、ペニシリンが抗生物質をさがしていた研究者によって、偶然がきっかけで発見されたのは、その代表的な例です。
セレンディピティ的発見の鍵は、偶然を生かすことができるかどうかで、それは実験や観察をする人たちの心がまえしだいです。なにごとかに集中する意識があって、周囲のできごとを注意ぶかく観察し、それに瞬間的に無心に反応する心がつねにそなわっていることが必要です。先入観は禁物です。これがセレンディピティ的発見の必要条件とすれば、気づいた偶然を解析する能力と根性をもっていることが十分条件といえるでしょう。
いままでの例にあげたように、セレンディピティは科学の分野のみで注目されているかのような印象を受けます。しかし,そもそもウォルポールの手紙にみられるように、彼が「セレンディピティ」の定義に使った例は、ラクダの話にしても、シャフツベリ卿の話にしても、これに似た例はわれわれの日常生活におこりうることなのです。
このことは、心がまえひとつで、私たちも日常生活のなかでセレンディピティに遭遇しても不思議ではないことを意味しています。自分をみがき、いま述べたセレンディピティ的発見の必要条件にかなった性格さえ身につければ、だれでもセレンディピティを体験できるはずです。

(太字はこのエントリー投稿者による)

セレンディピティを定義づける要素は三つあり,そしてセレンディピティ的発見には必要条件と十分条件の両方がある,という説明は竹内慶夫さんが鉱物学者であったこともあり,とても明確ですね.セレンディピティ的発見をした後には解析する能力と根性を持っていないといけない,という辺りは,金出先生の「素人のように考え、玄人として実行する」にも通じるでしょう.

様々なエピソードを持って語られる「セレンディピティ」ですが,三つの要素と二つの条件によって,それぞれのエピソードを比較することが出来そうです.

カテゴリー: diary パーマリンク